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忠臣蔵でおなじみの播磨赤穂藩主、浅野内匠頭長矩の屋敷跡です。浅野内匠頭長矩は、1701(元禄
14)年3月に江戸城内で吉良上野介を斬りつけた咎で切腹となり、お家は断絶という悲劇を招きました。
一方の吉良上野介はまったくのお咎めなし。「喧嘩両成敗」が大原則だった当時の武士社会の中での
この成敗は大きな遺恨を残し、後の赤穂四十七の士討ち入りへの布石となりました。
現在は聖路加国際病院の敷地近くに、「都旧跡・浅野内匠頭邸跡」の石碑がひっそりとあるのみです。
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